あいちの労働あれこれ


遅咲きの匠が語る 目的を持って挑み続けることの大切さ

パティシエ
宮﨑 龍(みやざき りゅう)さん 株式会社ブライド・トゥー・ビー シェフ ド パティシエ 

令和7年度愛知県優秀技能者表彰「あいちの名工」受賞(※末尾参照)



 世界最高峰の洋菓子コンクール「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2025」において、日本代表チームの一員として世界優勝を果たした宮﨑龍さん。株式会社ブライド・トゥー・ビーのシェフ ド パティシエとして、ブライダルやレストランのデセール(フランス料理のコースの最後に提供されるデザート)、スイーツ商品の開発など多岐にわたる事業に携わっています。
 30歳で料理の世界に飛び込み、幾多の苦難を乗り越えて世界の頂点へと登り詰めた宮﨑さんに、職人としての歩みと信念をうかがいました。


「何でもやります!」の覚悟で踏み込んだ洋菓子の道


 宮﨑さんのキャリアは、決して順風満帆な歩みではありませんでした。高校卒業後、自動車メーカーの製造現場や建築関係、リゾート関連の仕事、飲食店など、多種多様な仕事を経験したという宮﨑さん。しかし、元々料理が好きだったこともあり、働きながら調理師免許を取得。格式高いホテルの顔ともいうべきホテルシェフへの憧れから、30歳の時、フランス料理の世界へ入ることを決意します。

 門を叩いたのが、現在所属する株式会社ブライド・トゥー・ビーが運営する名古屋市瑞穂区のエルダンジュ本店(現・エルダンジュガーデン瑞穂)でした。フレンチの料理人志望だったものの、料理長からパティシエの仕事を命じられたことが、洋菓子職人としてのキャリアの起点になります。「もちろん料理をやりたいという思いはありましたし、その気持ちは今でも抱き続けています。でも当時は、何もできない状態でしたから、仕事を選べる立場ではないですよね。“何でもやります!”という覚悟で、パティシエという仕事と向き合いました。」


パティシエとしての歩みを振り返る宮﨑さん


宮﨑さんの代表作であるアントルメ・グラッセ(アイスクリームやシャーベットを使って作られたデコレーションスイーツ)カットすると、日本文化を象徴する独楽のデザインが現れます



技を磨き 自らを高めるための指標となったコンテスト


 パティシエとしての道を歩み始めたものの、自らの力不足を突き付けられる日々。高みを目指す宮﨑さんが、技を磨き、研鑽を積むために続けてきたことの一つが、コンテストへの挑戦です。これまで「ジャパン・ケーキショー東京」や氷彫刻の大会など、国内のコンテストにおいて数々の賞を受賞してきました。


「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」に出場した時の様子


 中でも力を入れてきたのが、世界で最も権威があると称され、2年に1度フランス・リヨンで開催される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」の国内予選です。このコンテストは、A部門「シェア・デザートとアメ細工」、B部門「レストラン・デザートとチョコレート細工」、C部門「アントルメ・グラッセ(フローズンデザート)/氷彫刻」の3部門で構成され、それぞれの部門で国内予選を勝ち抜いた代表者3名がチームを組み、世界大会に挑みます。
 宮﨑さんが、この国内予選に初めて参加したのは33歳の時でした。「パティシエとしての技術が足りないという自覚があったので、それを補い高めるために、勉強したいという意識で臨みました。」という宮﨑さん。しかし国内予選に出始めたばかりの頃は、審査員から酷評され、周囲から苦言を呈されることも少なくなかったそうです。

 「自分にとっての得意分野というものがわからないので、とにかく目の前のできないことを一つひとつ克服していくしかなかった。できない、悔しい、違う方法や材料を試してみようということの繰り返しでした。パティシエの師匠がいなかったので、独学で学びを深めるしかなかったんです。チョコレートのテンパリング(チョコレートの温度を調整するための技法)すらできない状態でしたから、見様見真似で練習を重ねて技術を習得していきました。」と話す宮﨑さん。思いつく方法はすべてトライしてみる。悔しさをバネに、挑戦を続けたそうです。


苦手だからこそ自身の課題として向き合う

 “できないことを克服していく”過程の中で大きな壁となったのが、「苦手だった。」と話すフローズンデザートや氷彫刻の分野でした。「初期の作品は、今思い出すだけでもぞっとするほどひどい出来映えでした。」と振り返ります。「でも、苦手ということは伸びしろがあるということ。そこを克服すれば、できるようになった時に感じる喜びもひとしおですよね。」
 得意ではなかったフローズンデザートや氷彫刻を自分自身の課題としてとらえ、真正面から向き合ってきたそうです。

 スイーツの中でも溶けるスピードが速いフローズンデザートや氷彫刻は、時間との勝負です。「作り終わって完成ではありません。フローズンデザートであれば、食べる方が口に運ぶ瞬間までの時間経過や溶け具合を緻密に逆算し、見た目、食感、味わいをトータルで考えて組み立てなければいけません。氷彫刻も同様です。コンテストの審査員が、作品の前に立つ時の環境をイメージして、与えるインパクトやラインの美しさを仕上げる。思い通りにならない難しさがあるからこそ、自分への課題として挑み続けてきました。」

 失敗を繰り返す中で、別の技法を使う、材料を変える、そして時には先輩パティシエに意見をもらうなど、考え得ることはすべて試してきたと語る宮﨑さん。
 長年の努力が結実し、「アントルメ・グラッセ(フローズンデザート)/氷彫刻」部門で挑んだ令和5年「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」国内予選では、見事優勝。世界大会への挑戦権を獲得しました。


独学からネットワーク構築へ 16年の挑戦の軌跡

 「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」の国内予選出場回数は、過去最多の8回。日本代表の座を勝ち取るまでに、16年以上もの歳月を要しました。

 「負けることがわかっていて臨むような苦しい時期もありました。」と振り返る宮﨑さん。しかし、強い意志と向上心を持って挑み続ける中で、風向きの変化を感じたそうです。「それまで見向きもしてくれなかった周囲のシェフや審査員から自分を応援してくれるような“温かい空気”を感じるようになったんです。」と話します。

 新しいアイデアを生み出すため、宮﨑さんはあえてインターネットをあまり見ないようにしているそうです。「世界中の情報が瞬時に共有される現代では、インターネット上にある情報からヒントを得ようとすると、どうしてもどこかで見たことのあるような、あるいは誰かと似たような作品になりがち。だからこそ、あえて古い文献や伝統的な技法に触れるようにしています。」と宮﨑さん。時には図書館へ足を運び、古い文献から菓子文化の真髄を学んだり、発想のヒントを得たりしながら独自のアイデアや感性に磨きをかけてきました。

 さらには、コンテストに参加し続けることで築くことができた、洋菓子業界のネットワークも追い風に。コンテストをきっかけに交流を図り、情報交換をする中で、アドバイスやヒントを得ることも増え、いつしか自分自身の見識が広がっていったそうです。

 常に原点を忘れることなく、洋菓子の本質と向き合いながら、周囲から得られる刺激をも柔軟に受け入れる。それらを融合して再構築した上で、自分なりのエッセンスを加えて表現することで、唯一無二の世界観を創り上げてきたのです。


泥臭い努力の積み重ねでつかみ取った 世界No.1の称号

 「アントルメ・グラッセ(フローズンデザート)/氷彫刻」部門の国内予選を突破し、晴れて迎えた令和7年の世界大会。宮﨑さんは、日本代表として歴代最年長となる53歳で大会に挑み、強豪国のフランス・イタリア・マレーシアを抑えて世界一という栄冠に輝きました。

 世界大会は3人1組のチーム戦です。大会に備えて毎週チームで集まり、年末年始には合宿を行うなど、一致団結して大舞台にチャレンジしました。日本チームが掲げたテーマは「Land of the Rising Sun(日出ずる国)」。歌舞伎、相撲、太鼓など日本を象徴するモチーフをアメ細工、チョコレート細工などで作り上げ、デモンストレーションを交えながら日本の文化を表現しました。


日本のチームテーマ 「Land of the Rising Sun(日出ずる国)」を表現


 中でも宮﨑さんは「独楽(こま)」をモチーフにしたフローズンデザート、「錦鯉」と題した氷彫刻を担当しました。氷彫刻では、今にも動き出しそうな躍動感あふれる2匹の錦鯉が完成。フローズンデザートでは、日本ならではの素材である柚子をはじめ、アーモンド、アプリコットなどを用い、絶妙なバランスを追求しました。独楽の模様を入れたドーナツ状のアイスケーキを、スモークが立ち込める中でプレゼンし、審査員に独楽で遊んでもらうという演出をプラス。味の完成度はもちろんのこと、エンターテインメント性も高く評価され、審査員や会場の観衆を魅了しました。


宮﨑さんが担当したフローズンデザート「独楽」


大小2匹の錦鯉が動いているかのように見える 宮﨑さん作の氷彫刻「錦鯉」


 世界一という華やかな結果の裏には、「泥臭い積み重ねがある。」とも語ります。「チームワークという言葉で語ると美談のように聞こえますが、8割以上は個々の泥臭い努力です。それはコンテストだけではなく、普段の職場でも同じです。一人ひとりが地道にコツコツと技術を磨き、お互いに高い次元で意識を共有し合い、互いの要望に応え合えるレベルに達していなければ、チームとしての力は発揮できません。」と、鋭い視線でプロとしての厳しさを語ります。


前回大会に続き、2連覇を達成した日本代表チーム



自らに課題を課し、新たな食の可能性に挑む


 世界王者という華やかな勲章を得た宮﨑さんですが、自らに課題を課し、日々小さな研究とチャレンジを積み重ねるという洋菓子職人としての基本的なスタンスに変わりはありません。

 「使ったことのない材料や試したことのない調理法を、一つひとつ試してみるということの連続です。例えば砂糖。最近は健康に対する意識が高まっているので、グラニュー糖など一般的な材料を安易に使うのではなく、何百種類とある糖類の中から、満足感がありながらも体に優しい物はどれだろうかと選択肢を探る。もしくは、砂糖を使わずに甘みを出す方法はないだろうかと考える。また、海外の方へ提供する場合には、柚子や日本酒など日本らしさを表現できるよう工夫を凝らすこともあります。
 同じことの繰り返しのように見える作業も、目的意識を持って一歩一歩クリアしていく積み重ねが、いつしか結果につながると思います。」その言葉には、長年の研鑽と結果に裏打ちされた重みが感じられます。

 「パティシエの仕事にゴールはありません。生きている限り、新しい発見を求めて挑み続けることこそ、プロの仕事の根幹なのです。」世界を制してもなお、宮﨑さんの探求心は尽きることがありません。今後は海外とのネットワークをさらに広げ、パティシエと料理の境界線を超えるような「新しい食の可能性にも挑戦したい。」と静かに、しかし熱く展望を語ってくださいました。



宮﨑 龍さんのプロフィール


 愛知県出身。飲食店をはじめさまざまな分野で経験を積んだあと、30歳でフランス料理の世界へ入ることを決意。平成16年(株)ブライド・トゥー・ビーの創業メンバーとして入社し、同時にパティシエとしてのキャリアをスタート。その後、名古屋市中村区に開業した「エルダンジュ ナゴヤ」のシェフパティシエに就任。婚礼やレストランのデザート製造・監修、新商品の開発・製造などを担う。令和5年「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」の国内予選で日本代表の座を勝ち取り、令和7年に開催された世界大会で優勝を果たす。現在は技術の研鑽とともに、愛知県洋菓子協会の常務理事として後進の育成や業界の発展にも尽力する。


株式会社ブライド・トゥー・ビー


エルダンジュ ナゴヤ


 ウェディング事業では、名古屋駅からアクセス抜群の貸し切りゲストハウス(中村区)、緑あふれる贅沢な貸し切りの一軒家ゲストハウス(瑞穂区)の2店舗を展開。ほかにレストラン運営、名古屋市大須の「カヌレとアイス」を拠点としたスイーツ事業、クラフトビール事業、コンサルティング事業などを手掛ける。

エルダンジュ ナゴヤ(株式会社ブライド・トゥー・ビー)

※愛知県優秀技能者表彰(「あいちの名工」)とは・・・

 技能者の社会的地位の向上、技能水準の向上を図るため、優れた技能を持ち、その技能を通して社会に貢献された方を表彰する制度です。選考は、市町村、商工会議所、商工会および産業団体等からの推薦をもとに行われ、後進の指導育成、社会貢献なども選考基準としてあげられています。

愛知県優秀技能者表彰(愛知県ホームページ)

(令和8年6月取材)