木製家具職人(椅子職人)
未来に驚きを与え ワクワクするような椅子を作る
木製家具職人(椅子職人)
太田 一彦(おおた かずひこ)さん 椅子工房 株式会社オオタ 代表取締役社長
平成27年度愛知県優秀技能者表彰「あいちの名工」受賞(※末尾参照)
令和5年度 厚生労働省 卓越した技能者表彰「現代の名工」受賞(※末尾参照)
令和7年秋 黄綬褒章 受章
昭和36年の創業以来、名古屋市瑞穂区の住宅街に作業場を構え、一途に椅子を作り続ける「椅子工房 株式会社オオタ」。商業施設やホテルを彩る特注のソファから、住宅で長く愛用される一脚まで、デザイン性に富んだ多彩な椅子を世に送り出し続けています。
同社の2代目として匠の技を受け継ぎ、そこに独自の感性を注ぎ込んできた太田一彦さんは、平成27年度に愛知県優秀技能者表彰を受賞、令和5年度には厚生労働省の卓越した技能者「現代の名工」に選ばれ、令和7年秋には黄綬褒章を受章されました。国内でも数少ない椅子職人として歩み続ける太田さんに、長年の椅子づくりを通じて磨いてきた独自の技術やノウハウ、さらには作り手としての想いについてうかがいました。
お客様に「感動」を届けるところまで 自分一人ですべてを紡ぐ
「一般にはあまり知られていませんが、私たちの業界の仕事は、実はかなり細分化されているんですよ。」と語る太田さん。一口に椅子といっても、その種類は大きく2つに分かれます。木を組んで仕上げる木製の椅子と、布や革などを張り上げたソファなどの椅子です。太田さんが担うのは後者で、土台となる木製のフレームを手掛ける職人、クッション材などで造形する職人、生地を張り込む職人など、本来は工程ごとに分業化されています。
ところが、株式会社オオタの工房では、その全工程を一人の職人が担います。その方がお客様の意図をくみ取った思い通りのフォルムに仕上げやすいからです。
まず依頼主へのヒアリングをもとにスケッチや図面を描き、正面・側面・上面の3方向から形状を表す「三面図」や、実際の大きさで細部まで描き起こす「原寸図」を作成。そこから木製フレームを組み上げ、下地材を張り、ウレタンフォームやフェザーなどを使って形を整えていきます。さらに型紙を起こし、布や革を裁断して張り込み、思い描いたフォルムへと仕上げます。
工房内の様子
木製フレームの製作や下地材の貼り付けなどすべてを自社で行う
オーダーメイドのソファに使われる生地の裁断を自ら行う太田さん
縫製を行う太田さん
「木材や布さえあれば、あとは全て自分たちの手でつくることができます。何もないところから完成品を生み出し、お客様に感動を届けられるのがこの仕事です。」と太田さん。
椅子は、建物ほど大きな造形物ではない。だからこそ、設計から完成までを一人の手で担うことができる。「そこに面白さがあるんです。」と太田さんは力を込めます。
図面では描ききれないものを表現者としてカタチにしていく
太田さんのもとには、その卓越した技術にほれ込んだ設計者やデザイナーから、数多くの図面が寄せられます。そこには椅子の寸法や構造が細かく記されていますが、「図面だけでは表現し切れないことがたくさんあります。」と太田さんは話します。
重要になるのが、見た目の美しさと座るための機能を両立させることです。椅子は人の体を支える道具だけに、図面を見ながら、体が適切に支えられる構造になっているかを見極めなければなりません。デザインとしては美しくても、実際に座ってみると快適ではないケースもあります。そんなときはデザイナーの意図を尊重しながら、座るための機能が損なわれないよう図面に自ら手を加え、構造や形状を調整していきます。
製作では、まずフレームを組み、ばねなどの下地材を張り込んだ上に、ウレタンフォームやフェザーといった詰め物を重ねて造形していきます。さらに仕上げとなる布や革についても型紙を起こし、それに沿って裁断・縫製したものを本体へ張り込んでいきます。
この型紙づくりは「洋服づくりにもよく似ている。」と太田さんは言います。洋服のデザイナーがトルソーと呼ばれる人体模型を前に「どこに縫い目を入れるか。」を考えるように、椅子も縫い目をどこに設け、どのようにつなぎ合わせるかによって、その表情やフォルムが大きく変わります。
「職人の力量が表れるのは、どれだけ多くのものを見てきたかだと思います。」と太田さん。椅子は、いくつもの柔らかな曲面が連続することで一つの形をつくっています。ほんのわずかなふくらみや傾きの違いでも、全体の印象は変わります。同じように見える椅子でも、重心がわずかに前にあるのか、後ろにあるのかによって、見た目はもちろん、座り心地まで大きく変わるのです。
例えばロッキングチェアは、いわば『やじろべえ』のように絶妙なバランスの上に成り立っています。どこに重心を置くかによって揺れ方や体の支えられ方が変わるため、使う人の体格や求める座り心地を探りながら、一脚ごとにそのバランスを調整していきます。
「何より大切なのは、相手が何を表現したいのかをくみ取ること。依頼者と十分話し合いながら、目指すべき着地点を探っていきます。デザイナーは何を思い描いていたのか、その先にいるクライアントは何を求めているのか。さまざまな情報を重ね合わせ、最良の答えを導き出していくんです。」
クライアントの声にしっかり耳を傾けながら椅子を仕上げていく
太田さんが目指すのは、依頼者の期待を上回るような仕上がりです。「100の期待を寄せてもらっているとしたら、それを120、150で応えて驚かせたい。」と太田さんは語ります。
そんな太田さんは、自らが手掛けた椅子を『作品』とは呼びません。「どこまでいっても製品。私は芸術家ではありませんからね。」何より優先するのは、椅子としての本質である座りやすさです。使う人の心地よさを第一に考えながら、依頼者の思いを形にし、その期待を超えていく。それこそが、太田さんが椅子づくりにおいて貫き続ける信条です。
飛び込んだ職人の世界で 厳しい修業時代を過ごす
太田さんは2代目ですが、すんなり家業を継いだわけではありません。「まずは一度、外の飯を食ってこい。」と父親に言われ、大学卒業後は商業施設の設計会社に就職しました。
その後、父から「忙しいから帰ってきて手伝ってくれ。」と呼び戻されますが、待っていたのは想像もしない厳しい世界でした。入社した頃(平成元年)には徒弟制度はすっかりなくなっていましたが、徒弟制度の中で厳しく育てられた上役職人から、非常に厳しい指導を受けました。椅子を作る仕事には一切触らせてもらえず、ほうきを持って見ているだけの日々が続きました。
修業期間を終えた後も、仕事の中身は下請けが中心。その当時は、トレンドの店舗を飾る椅子を、猛スピードで仕上げては納める日々を送っていました。
そんな太田さんにとって転機となったのが、若手の有志が企画した椅子の展覧会でした。出品にあたり、「椅子に名前を付けてください。」と求められた太田さんは戸惑いながらも、家族全員が戯れるように腰掛けられる大きな椅子に『家族の椅子』と名付けました。この一脚こそが、後に立ち上げるオリジナルブランドの原点となったのです。
「主の座」をテーマに最高の掛け心地と風格を表現したパーソナルチェア
太田さんの技術を支えているのが、数多くの優れた椅子に触れるなかで磨いてきた、表現者としての確かな感性です。若い頃は週末になると必ず名古屋市内のインテリアショップを巡り、評判の椅子を熱心にチェックして回りました。
そのうち顔なじみになった店員には「閉店後で構わないので椅子をひっくり返して裏側を見せてほしい。」と頼み、その構造を詳しく確かめたといいます。そして工房へ戻ると、記憶が鮮明なうちにすぐ試作する。そうした地道な積み重ねが、太田さんの豊かな表現力を養っていきました。
今後を担う若い職人のために 未来を明るく照らしたい
太田さんは今、若い職人たちに「私たちの椅子は未来に納めているんですよ。」と繰り返し伝えています。
「私たちが作っているのは、ネットで手軽に買えるようなものではありません。まだ誰も見たことのないものを、ゼロから生み出している。50年、100年先も喜んで大切に使ってもらえる椅子を未来に届けるつもりで作っています。未来の人を驚かせ、ワクワクさせなければならない。黒字か赤字かではなく、まず喜んでもらえなければ仕事とはいえないよ、と伝えています。」
その言葉を胸に、若い職人たちは一脚の椅子に情熱を注いでいます。そして納品先で、完成した椅子を目にしたお客様が喜ぶ姿に触れると、帰り道の表情はそれまでとは見違えるほど変わるといいます。「その瞬間を見届けることが今では何よりのやりがいかもしれませんね。」そう語る太田さんのまなざしは、次の世代へと向けられています。
工房内では太田さんからその技術を学ぶ若い職人たちが腕を振るう
椅子職人の世界には、専門的に技術を学べる教育機関がほとんどありません。担い手は減少し、身につけた技能に見合う対価を得にくいという課題も抱えています。だからこそ太田さんは、業界団体の要職や技能検定委員などを長年務めながら、椅子づくりの魅力や職人の価値を社会へ伝える活動にも力を注いできました。
「この仕事が世の中に知られる機会といえば、雑誌などで部分的に切り取られて紹介される程度。私たち作り手自身が、仕事の本当の姿を十分に発信できてこなかったんです。魅力のある仕事には人が集まりますし、技能の価値が正しく理解されれば、それに見合う対価も得られるようになるはずです。」
数々の栄誉ある賞を受賞してきた今、その思いはますます強くなっています。太田さんが見据えているのは、自らの成功ではなく、若い職人たちが希望を持って歩める未来を描くことです。
「若い人たちには、たくさんの未来があります。その未来を、少しでも居心地のよいものにしてあげたい。不安を抱えて進むのではなく、期待を持って明日へと踏み出していける。そんなフィールドを若い人たちと一緒に創っていきたいですね。」
太田 一彦さんのプロフィール
昭和37年、名古屋市生まれ。椅子張り職を家業とする両親のもとで育つ。昭和60年に日本大学工学部建築学科を卒業後、商業施設の設計施工会社に入社。昭和63年、株式会社オオタに入社し、椅子張り職人の道へ。平成8年、初の作品展に出品し、自身の作品を「家族の椅子」と名付ける。平成16年にはオリジナル家具「家族の椅子」の展開を開始し、翌平成17年にショールームを開設。現在は株式会社オオタの代表取締役社長を務める。平成23年、椅子職人としては西日本第1号となる全技連マイスターに認定。中部椅子張同業組合理事長、中部椅子張技能士会会長などを務める。
椅子工房 株式会社オオタ
昭和36年、現在地に「オオタ椅子店」として創業。現在は、商業施設や住宅向けの特注椅子・家具の製作をはじめ、椅子の張り替えや家具の修理、オリジナルブランド「家族の椅子」の製造・販売を手掛けている。工房では分業に頼らず、一人ひとりが設計から木工、縫製、仕上げまで、幅広い工程を担える職人を育成。3階の「家族の椅子」ショールームでは、作り手と使い手が同じ目線で語り合い、互いの思いや価値観を交換できる場として、椅子づくりに込めた職人の技術と考えを発信している。
所在地:名古屋市瑞穂区津賀田町1-2
電話:052-852-7581
営業時間:午前9時~午後5時30分
定休日:日曜、祝日、第2・第4土曜
※愛知県優秀技能者表彰(「あいちの名工」)とは・・・
技能者の社会的地位の向上、技能水準の向上を図るため、優れた技能を持ち、その技能を通して社会に貢献された方を表彰する制度です。選考は、市町村、商工会議所、商工会および産業団体等からの推薦をもとに行われ、後進の指導育成、社会貢献なども選考基準としてあげられています。
※卓越した技能者の表彰(「現代の名工」)とは・・・
卓越した技能を持ち、その道で第一人者と目されている技能者を表彰するものです。技能の世界で活躍する職人や技能の世界を志す若者に目標を示し、技能者の地位と技能水準の向上を図ること、また、技能者の模範として、将来を担う優秀な技能者の確保・育成を進め、優れた技能を次世代に承継していくことを目的としています。
厚生労働省 技のとびら 技能振興ポータルサイト(現代の名工Navi)
(令和8年7月取材)
