労務管理WEB連載コラム


労働時間規制と定額残業代制度


1 労働労働時間規制について

 実は労働時間規制については規制の強弱があります。私的自治の原則(個人の私法上の法律関係を、個人の自由な意思に基づいて律すること)をどこまで優先するかについて強弱があります。

1. 時給計算の原則について
 賃金計算においては、私的自治が排除され、原則として時給計算で賃金を計算しなければなりません。何時間働いても一定金額しか賃金を支払わないなどの合意は違法となります。
2. 時給額の設定について
 時給額をいくらに設定するかについては、基本的に私的自治が尊重され、規制は緩やかです。ただし、最低賃金法の規制が適用され、最低賃金額は守らなければなりません。
3. 労働時間の認定について
 労働時間に当たるか否かの認定においても、私的自治は排除され、厳格な規制が適用されます。合意により労働時間に当たるか否かを決めることはできず、実態により判断されることになります。
4. 割増賃金の計算方法について
 割増賃金の計算方法では、一定程度私的自治が尊重され、規制は比較的緩やかです。ただし、労働基準法で定められた計算結果を下回った場合は、労働基準法に定める賃金と同じかそれ以上の賃金を支払わなければなりません。




2 定額残業代制度について


 定額残業代とは、あらかじめ一定時間分の残業代を固定の金額として基本給や別途手当として支給する制度のことを指します。これにより、残業時間の増減にかかわらず、一定の金額が労働者に支払われる仕組みです。この制度は、固定残業代やみなし残業代とも呼ばれることがあります。
 これは、上記規制の内、「4」の「割増賃金の計算方法」について、あらかじめ一定時間分の残業代を固定の金額として支払うという方法を使用しており、規制が緩い部分を利用した手法です。

3 日本ケミカル事件最高裁判決

 日本ケミカル事件最高裁判決(最高裁平成30年7月19日判決)は、薬剤師として勤務していた被上告人(従業員)が、上告人(雇用主)に対し、未払いの時間外労働手当や付加金の支払いを求めた事案です。争点は、被上告人に支給されていた「業務手当」が、労働基準法第37条に定められた割増賃金として適法に支払われていたかどうかです。原審(高等裁判所)は業務手当を割増賃金と認めず、被上告人の一部請求を認容しましたが、最高裁はこれを破棄し、原審に差し戻しました。



争点と背景
1. 業務手当の法的性質
〇 被上告人と上告人との間の雇用契約には、月額給与として「基本給46万1500円」と「業務手当10万1000円」が定められていました。また、「業務手当」は「みなし時間外手当」として位置付けられており、「時間外労働がみなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」と記載されていました。
〇 他の従業員との間では、業務手当が固定時間外労働賃金(例えば30時間分)として支給される旨が記載された確認書が取り交わされており、本件の被上告人についても、契約上業務手当が時間外労働の対価であることが明確に位置付けられていました。
2. 時間外労働の実態
〇 被上告人の1か月当たりの時間外労働時間は、30時間を超えることが3回、20時間未満が2回、そのほかは20時間台でした。業務手当は平均157.3時間の所定労働時間を基に計算すると約28時間分の時間外労働に相当し、実態と大きな乖離がないとされています。
3. 原審の判断
〇 原審は、業務手当が「時間外労働の対価」として機能しているためには、労働者がその性質を明確に認識し、超過分の支払いを求める仕組みが整備されている必要があるとしました。
〇 本件では、業務手当が何時間分の残業代に対応するのか被上告人に説明されておらず、労働者がその性質を明確に認識していたものではないなどの理由から、業務手当を割増賃金とみなすことはできないと結論づけました。


最高裁の判断(業務手当を定額残業代として有効と判断)



最高裁は原審の判断を是認せず、以下の見解を示しました:
1.  割増賃金の支払い方法
〇 労働基準法第37条は、時間外労働に対する割増賃金の支払いを義務付けていますが、割増賃金が基本給や手当としてあらかじめ支払われる方法を直ちに否定するものではありません。契約上、特定の手当が時間外労働の対価として明確に位置付けられていれば、法的要件を満たすと解されます。
2. 業務手当の性質と運用
〇  雇用契約書や賃金規程において業務手当が「時間外労働の対価」とされていること、さらに被上告人以外の従業員についても同様の取り扱いがなされていたことから、業務手当は契約上時間外労働の対価として位置付けられていました。
〇被上告人の1か月当たりの時間外労働時間と業務手当に基づく割増賃金額は大きな乖離がなく、業務手当が法定の割増賃金の趣旨を満たしていると判断されました。
3. 労働時間管理の不備
〇 原審が指摘した労働時間管理の不備(休憩中の労働の未管理、タイムカードによる管理の限界など)は、業務手当の性質を否定する直接的な理由にはならないとしました。
4. 原審の判断の違法性
〇 原審が、労働者が手当が何時間相当の時間外労働に該当するかなどを認識できる仕組みがなければ手当を割増賃金と認められないとした点について、最高裁は労働基準法の解釈を誤った違法があると結論付けました。


結論と差し戻しの理由
 最高裁は、業務手当が時間外労働の対価として支払われていたことを認め(定額残業代は有効)、被上告人の時間外労働手当請求について原審の判断を破棄しました。


4 シンプルな原則に戻った最高裁判決

 定額残業代の有効性に関しては,この日本ケミカル事件最高裁判決が出るまでは、テックジャパン事件(最高裁平成24年3月8日判決)桜井龍子判事の補足意見に従って判断されてきました。

 同補足意見は,固定残業代の有効性に関して,次の判断枠組みを示しました。
① あらかじめ一定時間の残業手当を支払うことが雇用契約上明確にされていること
② 支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていること
③ ①の一定時間を超えて残業が行われた場合に所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨があらかじめ明らかにされていること



 そのため、多くの定額残業代制度がこの厳しい要件をみたさず、無効と判断されていきました。
 本判決の原審は,この考えに基づき、さらに基本給と定額残業代の適切なバランスやその他労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がないことをも求めており,さらに要件を加重していました。
 ところが、本判決はそのような複雑な要件を課すものではなく、シンプルに定額残業代が契約上、時間外労働の対価として明確に位置付けられていれば、法的要件を満たすと判断したのです。




 最高裁判決にはメッセージが込められていることが多くあります。多くの場合、労働者保護のためのメッセージが込められている事が多いのですが、行き過ぎた労働基準法の解釈についても、きちんとメッセージを送り、労働基準法本来の解釈に戻すためのメッセージを送ったものだと思われます。

 私の担当は今回をもって終了となります。御拝読いただきありがとうございました。